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神奈川県葉山町の森戸海岸は、その景観と皇室御用邸の歴史から高い評価を受けている。最近、ファッション企業トゥモローランド(Tomorrowland)が開発した高級ホテル「Casa CABaN HAYAMA」が、住民の強い反発と行政手続きに関する疑義を招き、海辺のリゾート資産を検討する投資家に対して制度面やデューデリジェンスの重要性を改めて示す警鐘となった。
葉山町の歴史
日本の皇室の「御用邸の町」として知られる神奈川県葉山町は、古くから権力・文化・自然の美が折り重なる特別な土地である。相模湾に臨み、江の島を望み、晴れた日には富士山が望めるこの地は、恵まれた自然条件と近代日本史における独自の位置を併せ持つ。

葉山が全国の注目を集めるようになったのは大正時代に遡る。1915年に皇室がここに葉山御用邸を建設し、天皇や皇族の静養地・避暑地として利用されたことが始まりである。その後、葉山は「抑制・静寂・不可侵」といった気風が付与され、日本の上流階級の精神的生活と自然の共生を象徴する場となった。皇室の存在が長期にわたり厳格な開発制限を生み、結果として地域の自然景観と生活リズムが保護されてきた。

また、葉山は日本の大衆文化にも強い印象を残している。石原裕次郎主演の『狂った果実』や加山雄三の『若大将』シリーズなどの昭和の青春映画は、葉山を「自由で陽光にあふれ、やや反骨的な海辺の楽園」として描いた。多くの世代にとって葉山は地名にとどまらず、青春や夏、理想的なライフスタイルの集合記憶を体現する場所である。平成・令和の時代に入っても葉山は湘南の他地域のような大規模商業化を免れ、「長く住みたい町」として首都圏の調査で上位に名を連ね続けている。低密度開発、厳しい建物高さ制限、景観やコミュニティを重視する姿勢が、葉山における希少な居住文化を形成している:ゆっくり、静かに、抑制的だが高い自覚がある。
Urbalyticsのデータによれば、葉山での売買に出る物件数は多くなく、年間で20〜30戸程度にとどまる。平均価格は6,000万〜1億円台で、ほとんどが最寄り駅から徒歩圏外であることから、自宅利用というよりも週末・別荘的な用途が想定されやすい。

事件回顧:なぜ高級ホテルプロジェクトが住民の怒りを招いたのか
事の発端は、ファッションブランドとして知られるTomorrowlandが葉山町森戸海岸で高級リゾートホテルの建設を計画したことにある。ホテルは「Casa CABaN HAYAMA」と命名され、地上3階、地下1階、客室わずか14室のブティックリゾートとして、レストラン、ルーフトップラウンジ、プールバーなど高級施設を備え、当初は2025年冬の開業を予定していた。葉山町は皇室御用邸や美しい海岸風景で知られ、関東圏で「長く住みたい街」ランキングの首位を連続して維持している。

プロジェクトの発端は数年前にさかのぼる。Tomorrowlandの佐々木啓之会長は2017年に森戸海岸の眺望を気に入り、当時同行した著名デザイナーのパトリシア・ウルキオラもその景観を称賛したとされ、佐々木は「ここにホテルをつくろう」と決意したという。実際にTomorrowlandは2007年から周辺地を取得し始め、2016年にプロジェクトの核心となる地権を取得していた。なお、同一地に対しては2015年前後に別企業(携帯ゲーム会社のColopl)がホテル建設を計画したが、住民の反対と道路条件の不備により断念している。
前例を踏まえ、Tomorrowlandは2019年末から説明会を順次実施し、2020〜2021年には葉山町とプロジェクトの詳細を協議した。しかし多くの近隣住民は、静かなコミュニティに与える影響を懸念し、この大規模な開発を受け入れられないと表明した。
住民の反発は2021年にピークに達した。同年11月、周辺の170世帯が連名で請願書を提出してホテル建設に反対し、その理由として主に同プロジェクトが日本の都市計画法や地方規則に抵触する疑いがあると指摘した。神奈川県の規定では、開発面積が1,000平方メートル以上の事業は出入口道路が公道に接続し、幅員が4メートル以上であることが求められる。今回の開発区域は約2,200平方メートルだが、外部へ通じる町道の多くは実際には幅員が4メートル未満である。また、葉山町独自の都市建設条例は景観と安全の観点から開発道路の幅員を6メートル以上と定めており、現状の通路は基準を満たしていないにもかかわらず有効な拡幅策が示されていない。さらに、工事期間中に多数の工事車両が狭隘道路を往復しており、1日あたり最大25台の大型トラックが基準に満たない道路を通行したことで、静かな住宅地に多大な迷惑が及んだ。住民はまた、ホテル完成後に多数の来訪者が押し寄せれば交通混乱や海浜景観の破壊、コミュニティの平穏が損なわれることを強く懸念した。こうした理由から、着工当初から激しい反発が続いた。

住民は抗議の横断幕や貼り紙で反対を明確に示し、「トゥモローランドのホテル工事を中止せよ!大型開発は葉山を壊す!」などと訴えた。にもかかわらず、開発業者は行政の許可を得た後も工事を進めた。設計修正と行政手続きを経て、Tomorrowlandは2022年9月に神奈川県の開発許可を取得した。葉山町長の山梨崇仁氏は、住民が反対署名を提出し道路条件が基準を満たしていないと認識していたにもかかわらず、本件に対し特例承認を与え、着工を許可した。2023年2月上旬、開発業者は周辺住民の抗議を無視して本格的に着工した。
工事中、住民は県や町役場に繰り返し陳情し、許可の取り消しや工事差し止めを求めた。2023年2月、一部住民代表は弁護士を通じて神奈川県の開発審査会に既存の許可の撤回を申請した。5月には住民団体と葉山町長が対面で会談し不満を直接伝えた。こうした過程で対立は激化し、住民の情報公開請求により、開発業者が行政に提出した報告書に不正確な記載がある可能性が浮上した。調査では、Tomorrowlandが2022年1月に町へ提出した書類に「沿道住民の道路拡幅への協力意思を確認した」との記載があったが、後に複数の住民が「そのような連絡は受けていない」と述べ、報告の信憑性が疑われた。町議会議員の金崎久則も、許可根拠となった書類に虚偽が含まれていれば重大な問題だと指摘した。
これに対しTomorrowlandは「知人を通じて意思確認を行った」と説明し、不実の事実はないと主張したが、同社は対応策として2019年末からの説明活動や、住民の要請を受け2022年7月以降の土曜工事停止などを実施したと述べている。

住民の継続的な圧力により、工事は度々トラブルに見舞われた。2023年夏、工事車両により付近の道路下に埋設されていた水道管が破損し、住民は頻繁な大型車の出入りが原因ではないかと疑った。町議会には本件に関する13件の請願が提出され、激しい議論の末に採択されるなど民意の反映がみられた。さらに、住民らは2023年8月に反対デモを計画していた。強い反対世論を受け、葉山町は仲介に乗り出した。
2024年初頭から町は開発業者と住民代表を複数回召集して協議を行った。争点は主に道路拡幅案と工事影響の補償であったが、交渉は一時行き詰まった。2024年10月になって、県・町の調停でTomorrowlandは近隣住民と定期的に二者協議を行い妥協を模索することで合意した。開発業者の態度変化には、公開報道や世論の監視が影響した。調査報道により葉山町役場の職員が道路幅員の測定方法で開発業者に便宜を図った疑いが示され、県の審査結果にも「葉山町が問題ないと判断すれば可」との注記があったことが明らかになり、手続きの公正性が厳しく問われた。大きな世論の圧力の下でプロジェクトは遅延が生じた。
建設工事自体は土木工事がほぼ完了しているものの、Tomorrowlandは2024年11月初旬の協議の場で、当初の開業予定日であった12月15日を少なくとも2026年2月初旬以降に延期すると突然発表した。同社は「現時点でホテルのサービス品質が理想水準に達していない」と説明したが、外部では地域との対立が未解決であることが延期の大きな要因と見なされている。数年に及ぶ論争は一応の区切りとして延期で収束したが、住民と開発業者の間に残る亀裂は依然として深いままである。
投資家への示唆:法令順守・地域対話・リスク管理の重要性
葉山の高級ホテルプロジェクトを巡る騒動は、不動産投資家や開発事業者にとって重要な教訓を提示する。プロジェクト選定とリスク管理にあたって、以下の点を教訓として取り入れるべきである:
法令順守(コンプライアンス):対象地の法規制や技術基準を厳格に守ること。抜け道を探したりグレーな運用に頼ったりしてはならない。Tomorrowlandの事例では、道路幅員が基準を満たさないまま大規模開発を進めようとしたことが一時的に特例で許可されたものの、違反の懸念が強く住民の激しい抵抗を招いた。コンプライアンスの不備は法的紛争を招くだけでなく、事業の正当性を覆すリスクがある。投資家は着手前に十分なデューデリジェンスを行い、道路や公共インフラ等のハード条件が規定を満たしているか、または合理的に改善可能かを確認すべきであり、非公式な関係による「便宜」に頼るべきではない。発覚すれば信用失墜と事業遅延を招く。
住民との対話:利害関係者とのコミュニケーションと参加機会の確保は、プロジェクト成功の鍵である。葉山の案件では説明会は行われたが、誠意に欠け形式的であるとの批判や、住民の実質的な意向照会を行っていないと疑われる虚偽の報告が指摘された。こうした対応は地域の信頼を失わせ、対立を拡大させる。投資家はプロジェクト初期から住民との丁寧な対話を行い、環境影響や交通・騒音対策などの重要課題について具体的な対策や補償案を示し、書面で合意を得るなどで抵抗感を和らげる努力をすべきだ。透明で誠実な対話は反対ゼロを保証しないが、集団的な対立が社会問題化するリスクを大幅に低減する。
政策・計画への配慮:地方の政策方向や地域の開発ビジョンを深く理解し、コミュニティの志向と衝突しないようにすること。特に文化的・景観的に特殊な高級住宅地では、国の基準以上に厳しい条例や景観保護の規制が敷かれている場合がある。葉山の事例は、地方自治体が世論を重視して最終的に住民の要求に応じることがあり得ることを示している。投資判断時には都市計画や地域ビジョン、関係条例を精査し、住民の意向を反映した政策のレッドラインを尊重するべきだ。例外措置を申請する場合は、その実現可能性を慎重に評価し、対外的に説明可能な十分な根拠と合意形成のプロセスを用意する必要がある。地方政策を無視して強行すれば反発や許認可撤回を招き、投資損失につながる。
リスク管理:コミュニティリスクを投資判断の核心に組み込み、最悪シナリオに備えた準備を行うこと。本件では、高級ホテルは地域価値を高める目玉事業と見なされていたが、周辺の受容力や住民の反応を軽視したために工事中断や開業延期を招き、時間的・財務的コストが膨らんだ。投資家は立地選定の段階で地域の民情や環境に関する評価を行い、NIMBY傾向が強いエリアでは紛争対応のための時間と資金の余裕を見込む、事業規模や用途を調整するなど代替案を用意するべきだ。また、世論の動向を注視し、指摘や疑義に速やかに対応して戦略を修正し、対立を早期に解消することが重要である。リスク管理は工事リスクや市場リスクにとどまらず、社会的・評判リスクまで包含する必要がある。葉山の教訓は、いかに魅力的な案件でも地域との関係を誤れば一歩も進めなくなる可能性があることを示している。事前準備と主体的な対話、未然防止の取り組みにより、地域利益と投資成果の両立を目指すべきである。

参考資料
【出典:朝日新聞、2024年、https://www.asahi.com/】
【出典:毎日新聞(Mainichi)、2024年、https://mainichi.jp/】
【出典:日本経済新聞(Nikkei)、2024年、https://www.nikkei.com/】
【出典:トゥモローランド(企業サイト)Casa CABaN 関連情報、2024年、https://www.tomorrowland.co.jp/】
【出典:神奈川県公式サイト(開発許可に関する案内)、2022–2024年、https://www.pref.kanagawa.jp/】
【出典:葉山町公式サイト(町政報告・住民説明等)、2024年、https://www.town.hayama.kanagawa.jp/】
【出典:行政機関の保有する情報の公開に関する法律(総務省)、2024年、https://www.soumu.go.jp/】
【出典:学術論文・レポート(沿岸開発と地域コミュニティの協働に関する研究)、2021–2023年、主要学術誌・大学リポジトリ】
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